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山賊より怖いことが・・・(12月1日の日記) [東南アジア自転車旅行記]

二日目の朝です。今日も山賊さんを避けるために朝7時から走り出します。今日は峠の上なので、朝から雲の海の上を走ります。気分は最高!

すでに高度1400mになっていて、周りの景色もこんななので、大きな峠は無かろうと思っていたのですが、尾根から尾根へと移動するために、高低差100m前後のアップダウンを何度も繰り返します。

その間も、朝もはよから、ラオスの子供たちの「サバイディー!」の大応援を受けながらの旅が続きます。

しばらく走ると、目の前には大きな下りが、

ここまで下りてしまうと、また上んなくちゃいけないんちゃうの?と不安になりながら、高度900mまで下って川を渡ります。

やっぱり。またもやここから長い長い上り。もう!同じ高度のままつないでくれれば、こんな苦労はしなくていいのに!とこのルートを企画した土建屋さんに、一人毒づきながら、えっちらおっちら上っていきます。

そんなこんなで高度1180mまで上り終わってコーナーを曲がると、100mほど先に人影らしきものが見えます。時間は9時30分過ぎ。今になって考えれば不思議なことなのですが、僕は見えた瞬間に「地元の人じゃない、自転車旅の人だ。」と感じました。僕の視力は右0.1左0.5でとても分かるはずないのに。

上りですから100m進むのにも一苦労。ようやくたどりつくと、予感どおり二人の西洋人サイクリストでした。しかし・・・

二人とも血を流しながら道路に座り込んでいるではないですか!

「転倒・落車だ!」

あわてて僕も自転車を路肩に放り出して、二人に駆け寄ります。

「Are you all right?(大丈夫か?)」

とは言ったものの、大丈夫なわけが無い。見たところ、僕とは逆ルートでこの坂を下りながらコーナーで転倒、地面に叩きつけられたという事故であることは間違いない。

男性の方マイケルは後ろ向きに転倒したらしく、後頭部から背中に血を流しながら、ボトルの水で、女性の方キャッツイの血を洗い流しています。キャッツイは、逆に前のめりの転倒したようで、右ひざと右あごから血を流し、サングラスのフレームで打ちつけたのか、右目の下に大きな青あざが出来ています。二人は40前後の壮年のスイス人サイクリストでした(名前と国籍ははるか後に聞いたものです。)

とにかく落ち着かせなくては!二人ともあまりの事故にすっかり気が動転してしまい、キャッツイは僕にしきりに、

「What's happened(何が起きたの?)」

と聞きながら座り込んでガタガタと震えるばかり。マイケルは走るどころではないのに、

「ルアンパバーン、ルアンパバーン」

と今日の自分たちの目的地に行きたいんだと、言い張ります。かと思ったら、座り込んで泣き出したりと、半パニック状態。

「No problem. Relax, and take a deep breath.(何も問題ない。リラックスして深呼吸しよう)」

とゆっくり話しかけて、二人を座らせ、とにかく休ませることにします。

そうこうしているうちに、近くの集落の地元民たちもわらわらと集まって、50人ぐらいの人だかりが出来てしまいました。といっても誰も英語はしゃべれない、もちろん僕も彼らもラオ語はしゃべれない、これはえらいこっちゃ!

僕の持っているファーストエイドキット(救急キット)も消毒薬とガーゼと絆創膏があるくらい、まさかと思うが破傷風の危険性も考えると、病院で治療を受けるべき、頭も打ってるし。

そのとき集まって、僕と同じくどうしようかと考えていたラオスの人たちの中からこんな声があがります。

「プクーン、ホッピタ」

プクーン、ホッピタ?ホッピタ・・・ホッピタ・・・ホスピタル!病院だ!そうかこの先23Kmの村プークーンには病院があるのか!

僕が通ってきたルートで、病院がある一番近い街は、100km離れたルアンパバーン。どう考えてもプークーンに運ぶのがベストだ。

そのときルアンパバーン発ビエンチャン行きのバスが運良く通りかかる。僕は大きく両手を振ってバスを停めた。

しかし、マイケルはまだ気が動転しているらしく、プークーンに行くのは違う、俺たちはルアンパバーンに行きたいんだ!と言って聞かない。キャッツイも残念ながらまだ立ち上がれるほどに回復もしていない。

結局バスにはそのまま行ってもらうしかなかった・・・やはり二人の精神が安定するまでは動かせないか。

仕方が無いので、二人を路肩で座り込ませ、とにかく水を飲み、ゆっくりと病院にいかないといけないと説得する。

僕は17年前、中学3年生の時に自転車で道路に飛び出して、車にはねられ5日間の入院という交通事故を起こしている。実は、僕にはこの事故の記憶が無い。事故の数時間前から、次の日病院で母親に起こされるまでの記憶が全く無いのだ。

だからといって事故後意識を失っていたわけでもなく、救急車の中では自分の名前・学校・家の連絡先なんかも正確に答えていたという。事故のショックでそのときだけ脳の活動が少しおかしくなっていたのだろう、病院でも母親に何度も同じ質問を繰り返し、翌日同じ病室のお兄さんに「こっちがおかしくなりそうだったよ」と笑われたものだ。

マイケルはすでにこの症状が出ていて、僕に「君はどこの人?」と5分おきぐらいに同じ質問を繰り返す。僕も「日本人だよ。今は何も考えないようにしようぜ。」と同じ答えを繰り返してあげた。

20分もしただろうか、大分二人も落ち着いてきて、冷静な考えが出来るようになってきた。そこで「残念だけど二人が今日出発したプークーンに戻りましょう。そこに病院があるから。」と説得してようやく二人も状況が飲み込めたよう。あとは親切な車、それも自転車と人間の両方を運べるようなトラックがいい。

このルートは車どおりもそれほどなく、じりじりしながら5分ほど待つと、まるで僕の思いが届いたかのように、中型の乗り合いトラック(荷台を改造して椅子を備え付けたもの)が来ます。

もう僕は意地になって停めました。

片言のラオ語をドライバーの髭面のおっさんにわめき散らします。

「自転車!倒れた(身振り)プークー!病院!」

おっさんも状況が飲み込めたらしく、周りのラオス人とみんなで二人の自転車を荷台に乗せます。二人も椅子に座りました。僕はどうするか・・・

やはり行くしかありません。まさか同じサイクリスト仲間として、後はお願いとは言えなかったです。下り坂での転倒なんて、僕も山賊なんかよりよっぽど遭いたくないサイクリストの悪夢。それに運悪く遭遇した二人をほっておくのは出来ませんでした。

僕の自転車ものせ、3台の自転車と3人の外国人を乗せたトラックは峠を上り始めます。心配して見ていてくれたラオスの人々にも「ありがとう!」と手を振って。

23Kmなのですぐに着くだろうと思っていた僕の予想は外れました。峠はまたも1300mを越え、尾根づたいに100m~200mのアップダウンを繰り返すもんで、スピードが上げられないのです。

ただ走っているうちに二人も正常な思考が出来るようになってきました。ここで名前と国籍といったことをゆっくり聞きました。マイケル自身はかなりのサイクリストらしく、世界中の国旗のワッペンがバックに付いていました。

40分ほど走ったでしょうか、ようやく峠の村プークーンへ着きます。ドライバーのおっさんが村人に聞きまくって病院のある場所へ。

病院といってもここは高度1350mの峠のてっぺん、都市からは何百キロも離れている田舎です。ほとんどあずまやといった風情の診療所でした。それでも素人治療よりははるかにマシ。自転車を下ろし、二人が病院の人を呼んだところで、おっさんに「ありがとう!」と挨拶に行きます。

当然親切で運んでくれたのだろうと思っていた僕の期待は、ここで見事に打ち砕かれます。おっさんはニコリともせずに僕に冷たい声でこう言い放ったのです。

「マネー」

僕も笑顔が消えました。やはり人は誰でも親切だと信用してしまうのは間違いだったのでしょうか。旅で色々な国の色々な現実を見てきた僕でも、まさかけが人の運搬に、こんな冷たい扱いをされるとは。

仕方ないので、

「タオダイ?(ラオ語:いくら?)」

と聞くと、

「10$」

何だって!10$だったら、地元民向けバスでルアンパバーン→ビエンチャン380Kmを往復できる額じゃないか!ふつふつと怒りがわいてきます。

でもここで必死の値切りをするなんて余裕は無く。僕は財布から10$札を出し、投げるように渡して、英語でこう言ってやるのが精一杯でした。

「消えろ!」

もちろんおっさんを100%責めることはできません。乗り合いトラックということはタクシーみたいなもんで、お客を運搬してお金をもうけるのが仕事。生活かけて仕事をしてるおっさんに、ボランティアで運べと要求しようとした僕が間違いだったのでしょう。

ちょっとトラブりましたが、治療は順調に進み、二人の傷の消毒、痛み止めの注射、鎮静剤らしき飲み薬をもらって診療は終了。一人あたり12$が請求されました。日本だったら無保険だと1~2万円はとるでしょうから、安いといえば安い。

「帰ったら旅行者保険に請求だね。レシートなくさないように。」

という僕の冗談にも笑って答える余裕まで出てきて、二人はせっかくだからと病院も記念撮影していました。

時間は12時過ぎ。二人は大きい病院に行かなくてはということで、午後3時にプークーンを通りかかるルアンパバーン行きのバスで、ルアンパバーンに行くとのこと、僕はなんか色々なことがありすぎて疲れたので、このプークーンの村で一泊することにしました。

真ん中右の唯一の立派な建物が泊まったゲストハウス。ほんと田舎の村でした。

午後3時前、バスがやってきたので二人ともお別れです。

「Bon voyage!(良い旅を!)」

と言ってお別れしました。本当に二人が元気を取り戻して、また自転車で旅してくれることを願うばかりです。同じサイクリストとして走れなくなるのが一番つらいですから。

すっかり忘れてましたが、山賊の出る危険ルートのど真ん中にまだいます。あいかわらず山賊の「さ」の字も無いですけど(^^;)


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コメント 10

mondo

 はじめまして♪
 うわ~、朝の景色からは想像できない、大変な一日でしたね~。まるでドラマのようでドキドキしながら読ませていただきました。
 お疲れ様でした。
 お二人は大事に至らず何よりでしたが、まだ山賊さんの出現ポイント内ということですので気をつけてくださいね~。
 良い旅で終えることを祈っております(^^)/~
 
by mondo (2005-12-02 21:11) 

ahtoh

トラブルまみれなすごい1日でしたね(;´Д`A ```
怪我をした2人はakoustamさんがいなければどうなっていたことか・・・。
頭がはっきりしてきた頃に、本当に感謝していると思いますよ!

まだ山賊に対して気を抜くことはできないと思いますが、
この日は本当にお疲れ様でした。
by ahtoh (2005-12-02 22:03) 

店員佐藤

♪偉い!なんて言葉では片付けられませんが、感動しちゃいました。
こちらからだとちょっと無鉄砲に見える山賊ルート越えでしたが
結果的には、akoustam さんがバスに乗っていたら、彼らは
どうなっていたのかわからないんですよね。彼らを助けるために
このルート、この日、この時間をakoustamさんが通られたのかも。

ドライバーさんの「マネー」の話ですが、もし逆の立場で
ラオスの方が日本に来ていて、けがをされたときに医者にかかって
それで請求される額のことを考えると。。。なんてことも思って
しまいました。不愉快な思いをされているみたいですが
通貨の価値の違いをまざまざと見せつけられた一件ですね。
by 店員佐藤 (2005-12-02 22:06) 

akoustam

>mondoさん
はじめまして&コメント&ナイス投票ありがとうございます。

長く旅してるとこんな日もあるかなって感じです。幸いなことに二人とも骨折とかの大怪我では無かったですし、僕も下りに関して改めて気を引き締めることが出来たので、いい経験でした。

山賊ルートは無事抜けましたので、今後は安心してお読みください。
by akoustam (2005-12-03 20:18) 

akoustam

>ahtohさん
コメント&ナイス投票ありがとうございます。

サイクリスト仲間としては、本当に考えたくないアクシデントですから、落車は。とにかく二人に大きな怪我が無くて良かったです。二人とも、一日たって僕みたいに事故関係の記憶、全部失ってるかもしれませんが(^^;)
by akoustam (2005-12-03 20:20) 

akoustam

>店員佐藤さん
コメント&ナイス投票ありがとうございます。

偉くなんて無いですよ、当然の行為をしたまでです。それにしても、そんなに無鉄砲に見えました?僕としては周到に情報収集を重ねた上での、自転車走行の決断だったんですけどね(^^;)。

おっさんに関しては、僕もどう考えていいか分からんです。でもあれだけの怪我をしてる人からお金とろうって感覚が、僕には許せなかったんですよね。やっぱり世界基準からいったら、僕も甘ちゃんなんでしょうか。
by akoustam (2005-12-03 20:23) 

floss

気の弱いふろすには、はらはらなんてもんじゃないくらい、どきどきしましたよ。
何とか、いい話で終わって良かったです。
ほんと気をつけてください。
ところで、自分も高校生の時に、授業のサッカーで頭を打って記憶をなくしたことがあります。その前後がぽっかりなくなるんです。期間は違いますが、いっしょですね。
by floss (2005-12-03 22:58) 

モンペリエ

本当にお疲れさまでした。今回の件でスイス人にジャポネは本当に良いやつだと思われた事でしょう。
スイスで日本人が路頭に迷ったときは絶対彼たちは助けてくれると思います。まあラオスのおっさんを弁護するとすれば白人2名と日本人1名を助けるとなると相当にボレルと思ってしまう状況を、他の旅行者が作ってしまっているのでしょう。本当に悲しい事ですが日本人はどこに行っても鴨がネギを背負って歩いてる思われています。山賊ルートも後半分との事ですが気をつけて下さい。その後は地雷ルートが待っているのですから(笑)。or○からの電話、御愁傷様でした。なんか人が居ないみたいで大変みたいです。日本語がしゃべれれば誰でも良いとの事。 本当に大丈夫なんですかね。千円はちゃんと請求書に入れて請求しときます。 1月半ばはどのへんを走ってますか?遊びに行こうかなー
by モンペリエ (2005-12-04 10:34) 

akoustam

>ふろすさん
コメント&ナイス投票ありがとうございます。

あれなんでしょうね、僕も何で記憶がないのか不思議で不思議で、記憶をなくしている間も正常に受け答えしているんですよね。
by akoustam (2005-12-04 21:11) 

akoustam

>モンペリエさん
コメントありがとうございます。

海外を旅行する以上、「日本」という肩書きを背負っているんだという意識は常にありますから、とにかく必死でしたは。

もうおっさんのことは忘れます。

地雷ルートはいつになるかな、ちょっとルートを変えて、これからカンボジアに向かおうかと思っています。1月中旬はホーチミンかプノンペンかシアヌークビルにいる予定です。
by akoustam (2005-12-04 21:14) 

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