DeMilitarized Zone [ベトナム縦断自転車旅行記]
居心地の良いフエにとどまりたいという欲求を抑えつつ、今日からまた自転車走行再開です。
まずは国道1A号線を北上する前に、フエの郊外にあるティエンムー寺に行きました。
フエの観光名所の一つとして有名なこの寺は、フエの旧市街から約4kmほど西に走った場所にあり、フエを訪れた観光客がサイクリングで訪れるのに最適な距離にあります。
この辺まで来るとフォーン川も橋が無くなって、より自然な姿に。
大きな慈悲と書かれた山門をくぐると、
本堂が目の前に現れます。
禅寺として由緒正しい歴史を持った名所ですが、僕がここを訪れたのはもう一つ別のものが観たかったから。
それがこのブルーのオースチンです。
1963年6月、このティエンムー寺の僧侶だったティック・クアン・ドック師は、このオースチンに乗って当時南ベトナムの首都だったサイゴン(現:ホーチミン)に行き、アメリカ大使館前で予告焼身自殺をはかります。
この時南ベトナムの大統領だったゴ・ディン・ジェムはキリスト教徒で、仏教徒に対する弾圧的な政策をとっていたため、それに対する抗議の焼身自殺だったわけですが、予告されていたのでその焼身自殺の様子は、写真やフィルムに残されることになりました。
そして世界に衝撃を与えたその自殺を「僧侶のバーベキュー」と評して不興を買ったのが、ゴ・ディン・ジェムの弟、ゴ・ディン・ニューの夫人であるチャン・レ・スアン、通称マダム・ニューです。
この一連の事件でアメリカ政府に見放されたゴ・ディン・ジェム政権は、その5ヶ月後にアメリカ政府黙認の上で軍事クーデターを起こされ崩壊するわけですが、マダム・ニューは国外に逃れ、イタリアのローマで去年亡くなりました。
そんなこの国に深く爪痕を残しているベトナム戦争の歴史を感じながら、フエを離れることにします。
ここからはいつも通り国道1A号線を北上。
平地が続く道を、たまに晴れて日が差す中を順調に進んでいきます。
昼飯はドライブインのコム飯。
70Kmほど走ったところで、ドンハの街に到着。
ここから西に行くとラオスとの国境まで行ける国際ルート(6年前は当初このルートでベトナムに入ってくる予定でした)。そしてこの街は当時の南ベトナムの中で最も国境に近い最北の街で、当時は激しい戦闘が行われた場所でもあります。
今はこうして近代的なスーパーマーケットもあったりする平和な街。
そこからさらに20Kmちょっといくとベンハイ川という小さな川に出ます。
ここが朝鮮半島の38度線と並ぶ「17度線」と呼ばれるライン上にあたるところで、このベンハイ川から南北2Kmずつの範囲は非武装地帯(DMZ:DeMilitarized Zone)として、ジュネーブ協定からサイゴン陥落までの22年間、北ベトナムと南ベトナムを分ける“国境”だったところです。
今はただの田舎の平和な川。この写真に写っているヒエン・ルオン橋も国境が無くなった後に再建されたものです。
しかし1976年までここに“国境”があったことは厳然たる事実で、それは僕が3歳の時なのですから、決して遠い昔ではありません。
この川を越えたことで、名実共に「ベトナム北部」へと入ってきたわけですが、当然のごとく風景が変わるわけでもなく、人が変わるわけでもなく、いつも通りクラクションが鳴りまくってる、ベトナム国道そのままです。
国境は結局人間が引く一本の線でしかないわけで。
しかし北側にこんな大きなベトナム国旗がはためいているのは、なんらかの意識はさせてるんでしょうね。
そんな旧国境を越えたら今日の宿探し。ちょうど100Kmほど走ったのでこの辺にホテルがあればベストですが、近辺に大きな街はありません。
しかし事前にGoogleMapで調べておいたところ「Hotel」で検索すると、この近くに四軒ほどあることになっています。
ならばそこへとGoogleMapに忠実にその場所を目指してみたのですが、
こんな未舗装の泥道になってしまいました。こりゃどうみてもこの近くにホテルはないだろ(笑)
その後このあたりの田舎道を子供達の「ハロー!ハロー!」という声援を受けながら(外国人が珍しいんでしょうね、中学校みたいなところの近くを通ったとき、校内からのハローという呼びかけに手を挙げて応えたら、女の子達から「キャー!」とかアイドルみたいな声援を受けてしまいました。こんなこともう一生無いかも(笑))、ぐるぐると走り回ることになります。
その後、GoogleMapに出てくるホテルの住所表示から正確な場所を探り当て、走ること1時間弱。どうにかこうにかホテルへたどり着きました。
この地図で赤いA/B/C/DでドロップされたポイントがGoogleMapが示したホテルの場所。緑色のBでドロップされた場所がその4軒のホテルが実際にあった場所です。これはひどい(笑)
というわけで10Kmほど余分に走りましたが、115Km走って宿に到着。ゴールのハノイまであと540Kmまで近づいてきました。
宿は田舎のビーチリゾートにあるところで、近くに飲食店もないことからホテル内の食堂へ。
英語が一切通じないので厨房で食材を見させられながら決まったのはシーフード焼きそば「ミー」でした。
明日はさらに北上します。
地図が当てにならないと限りなく冒険になっていきますね。
どうぞ気をつけて。
要らぬ心配はお金はまだ大丈夫なんでしょうか(^_^)
お金おろせるような所ないですものね。
失礼いたしました。
by Santa (2012-03-17 07:54)