akoustamの東北ボランティア日記 第二日「想像」 [日記]
akoustamの東北ボランティア日記、二日目は本格的にボランティア作業に参加します。
この気仙沼市小泉浜は、震災から1ヶ月半がたつというのに、未だに電気・ガス・水道と言ったライフラインが復旧していません(テントを張っているところのすぐ隣にあるドコモ基地局もディーゼル発電機で運用中)。
そのため19時過ぎにあたりは真っ暗に(後はヘッドランプで対応)、朝は5時過ぎには明るくなってしまうので、
「暗くなったら寝て、明るくなったら起きる」
という超健康生活が待っています(笑)。僕も5時半には一度目覚めて、うとうととしながら7時半になって動き出します。
まず一日の始まりは8時のボランティアミーティングから、
ここで担当作業の班分けを行い、僕は「電柱撤去班」へと回ることとなりました。
支給されたパンに牛乳という朝食をとりながら、
行った現場はセンターから歩いて100mほどのところ。そこには津波によって倒され斜面にもたれかった電柱がありました。
この電柱に山登りの経験があるボランティアさんがロープワークを活用してロープを張って支えにし、斜めで止まっている原因になっている木に引っかかった電線をワイヤーカッターで切断して、ゆっくりと地面におろすことを目指します。
電柱の根本は鉄筋がむき出しになって折れている状態。津波のパワーは想像以上です。
みんな電柱を倒すなんて初めての経験のはずですが、人間知恵が集まればなんとかなるもの。30分ほどで見事に予定通りの場所に倒すことに成功しました。
で、こんなことになるくらいだから、海はすぐそこのように思うでしょ?
ところが、この電柱は海岸から遥か離れた全く海の見えない場所に立っているのです。
(上の画像の左端にわずかに海が見えていて、電柱は右側奥に向かって行く道の最後に、かすかに軽トラの隣に寝ているのがおわかりいただけるでしょうか)
海面からは15mほどの高さでしょうか、まさかこんなところまでこれだけの津波が来るとは…
実すぐ隣では斜面の上に建物が乗っかってしまっています。
その後も僕のいる班は、次々と電柱の処理を行っていきます。
基本は根本で折れ曲がっている鉄筋を、発電機+電動カッターで切断し、
人力とフォークリフトの力で引っ張り上げ、
後々運搬業者が来るまで、道ばたの安全な場所へ移動させて寝かせておく、という作業です。
その間もがれき撤去作業を断続的に手伝いますが、本当に生活の最中に津波が襲ってきたんだなと思わせるのが、そこかしこに散乱した生活用品の数々。
Sony HF-ESカセット。
マスプロのパラボラアンテナ(ここまで破壊されるとは…)
aiwaのミニコンポ。
Aurexのオーディオ。
こうして次々出てくると、電器製品好きとしては本当につらい。途中所有者の方には思い出になっているであろう、古い「残暑見舞い」の葉書も発見したので、避難所に届けておきました。
午後2時からは、今度はがれき運搬のお手伝い。軽トラに一緒に乗って、市が指定した集積場までがれきを持って行って降ろす作業です。
で、その指定の集積場というのが、津波で一階部分が完全に破損したスーパーの建物跡なのですが(ストリートビューで見ると震災前に閉店していた模様)
これがどこにあるかというと、このGoogleマップのAの地点。
川沿いとはいえ、海岸から2Kmちかく離れたここが、これだけの破壊にあっているのです。誰が「ここまで津波が来る」と想像出来たでしょう。今回の震災は「想定出来た」「出来なかった」の論争が激しく行われていますが、この事態が本当に想定可能だったのか、人間の想像力が試されているのだと感じます。
しかし、ボランティアも200人まで増え、一日がれき撤去に奔走すると人間の力も大したものだとも感じます。
朝の電柱の場所がこの通り。
今日の夕食は炊き出しの豚汁うどんでした。
人間の知恵の集まり、想像力、人としての力、色々なことを考えさせられた二日目でしたね。
(津波で流され、土砂に埋もれた鍋)
大変な仕事お疲れ様です。こういう活動の報告を見ると、人間の力も本当に素晴らしい可能性を秘めていることを感じることができますね。無事に二二日目の活動が終わってよかったです。アスベストなど問題も山積していると思いますが、十分に身体に気をつけてくださいね。沢山の写真を掲載いただき、被災地の生の姿に心が痛みます・・・
by as (2011-05-01 22:36)